~オリックス、惜別・2018①(大山暁史、佐藤世那、戸田亮) の巻~
思い出
金子、西、中島らが抜けたオリックス。
彼らのような看板選手だけでなく、チームを支えてくれた幾人かの選手がオリックスのユニフォームを脱ぎました。
今日から数回に分けて、オリックスを去る選手の思い出を書いていきます。
まずは大山暁史、佐藤世那、戸田亮の3人のピッチャーから。
大山暁史
大山暁史。
私的には大好きな投手でした。
小柄な左のパワーピッチャー。
タイプ的には野村貴仁以来では。
性格も野村に似て強気で、しっかりと腕を振れる投手。
その分細かいコントロールがなく、悪いときは6-22でソフトバンクに惨敗を喫したときのようなピッチングとなりますが、
それでもストレートの球威とキレは目を見張るものがありました。
いまでも、その二点はオリックスのサウスポーのなかでナンバーワンだと思っています。
「最後だと思って」
惜しむらくはプロ1年目オフのサイド転向。
背水のドラ1・古川秀一と同時期のサイド転向でしたが、2人のうちどちらかが出てきてくれれば儲けもんという首脳陣の空気が感じられ、選手の個性を無視した転向に苛立ちを覚えたのをいまも覚えています。
翌年にはサイドをやめて元に戻した大山。
それが2017年のプロ初勝利に繋がりました。
その再転向について、今春大阪帝国ホテルで催された激励会で大山に直接尋ねました。
そのときの答えは「サイドにしてみないかと言われて転向したのですが結果出ず、最後だと思って、上から投げてみようと思いました」。
プロ1年目で結果がでず、首脳陣の提案に抗うことができずに渋々サイドに転向するも案の定の結果。
だからこそ、「最後だと思って」の覚悟の再転向。
もちろんこの蹉跌を経たからこその再転向の成功ともいえますが、
長くないプロ人生、この1年をひどくもったいなく感じます。
佐藤世那
佐藤世那。
3年前の夏の甲子園。
仙台育英のエースとしてマウンドに上がった佐藤世那に、驚きました。
力強いストレートや打者を翻弄するフォークにではなく、その極端なアーム式のフォームに。
これではプロでは厳しいだろうなと思いながら観戦していましたが、
オリックスが6位で指名すると、悲観よりも吉田凌とともに甲子園のヒーローがオリックスに入る喜びの方が勝り。
しかし、下でも結果を残すことができず、3年でチームを去ることとなりました。
緊張感、焦燥感
昨秋の台湾ウインターリーグでサイドに突如転向した佐藤世那。
こちらも大山同様、本人納得しての上でのものではなかったことは、トライアウトで上に戻したことでも明らか。
転向1年での解雇はやや厳しくも感じますが、
トライアウト前日に放送された番組内では当人もそう思っていたよう。
ただその心の余裕が、本人に緊張感やいい意味での焦燥感をもたらさなかったのではとも思っています。
佐藤の無念を、同期の吉田凌が継いでくれたなら。
戸田亮
最後に戸田亮。
高校では外野手の補欠。
大学で投手に転向するとその才能が芽を出し、社会人の名門・JR東日本に入社。
名伯楽・堀井哲也の指導を受け、2012年ドラフト6位でオリックスに入団したシンデレラボーイ。
決して即戦力という扱いではなかったものの、1年目に5試合登板。
そこから5年間、育成落ちやBCリーグへの派遣を経験するもルーキーイヤー以来の一軍登板は叶いませんでした。
形だけのサイド転向
今春キャンプは一軍スタートだった戸田。
しかしそのラストチャンスを活かせず。
戸田も、大山、佐藤世那と同じくサイド転向組。
もちろん結果がでなかったからこそのサイド転向命令も、
誰一人これといった数字を残せず、むしろ成績が悪化。
気持ちのついてこない形だけの転向は、チームの戦力にならないだけでなく、本人を苦しめるもの。
今季チームを去った3人の投手をみると、そう思わずにはいられません。