祈優勝! オリックスバファローズ

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2018オリックス

~オリックス、惜別・2018②(縞田拓弥・坂本一将) の巻~




2011年ドラフト2位・縞田拓弥

縞田拓弥が入団したのは、2011年のドラフト。
高橋周平(東海大甲府→中日)を外したオリックスは同じショートの安達了一を1位で指名。
にもかかわらず、2位でも同じショートの縞田拓弥を獲得。

強打の安達に堅守の縞田。
タイプは違えど、同じショートを1位と2位で指名する必要性をまったく感じず、縞田の2位指名にひどく落胆したことを覚えています。

入団後は非力の打撃が足を引っ張り、オープン戦ではこれまた同年指名の内野手の小島脩平の後塵を拝し、
その後は安達がショートのポジションを掴んだのに対して、守備固めが縞田の役割に。

怪我もあり、その仕事も若くて同タイプの鈴木昂平らに奪われ、
7年231試合の出場でプロ野球人生の幕を閉じました。

ドラフト2位としては物足りない数字ではありました。



好かれる理由

上記のようなこともあり、どうしてもプレーヤー縞田拓弥には厳しい視線を送ってしまうのですが、
置かれた立場に腐ることなく、声出し等の陰の仕事を積極的に行う姿勢はファンからも高く評価されていました。

今春の激励会で縞田と直接話せる機会があり、昨年患った足首の怪我の回復具合について尋ねると、
「ありがとうございます。はい、大丈夫です」と屈託のない笑顔ではきはきと応えてくれた縞田。
同郷ということで地元の話題にも付き合ってくれ、こういうところがみんなに好かれる理由なのだとしみじみと実感しました。

その人間性が評価され、来季からはアマスカウトとしてチームを支えていくことになりました。

喜びとともに、さもありなん。



坂本一将

浦和学院→東洋大→セガサミーという経歴も、決して野球エリートではなかった坂本一将。

NPB入りを賭けて社会人2年目終了後にBC石川に入団。
その翌年、思惑通りに育成4位でオリックスに入団。

社会人選手の育成指名は禁じられているので、この決断は見事に奏功したといえます。

オリックス入団後も、俊足選手を好む福良前監督に呼ばれキャンプ・オープン戦と一軍帯同することも。
上では目立った結果は残せなかったものの、ファームではそれなりの数字を残し7月末の支配下登録もあるのではと思っていましたが、最後に選ばれたのは佐野皓大。

支配下の夢かなわず、28歳でユニフォームを脱ぐことを決めました。



「一回もないっす」

162cmという身長はNPBで最も低く、加えてBCまで経験した野球歴。
苦しいことが多かったであろう坂本の野球人生について、直接尋ねたことがあります。

「独立、育成といろいろなことを経験されてきたなかで、野球がつらいと思ったことはありますか?」
間髪入れず「一回もないっす」
この一言。

夢を追いかけ、その夢を掴んだ坂本。
強い意志と覚悟があってのもの。
それはこれからの人生にきっと活きてきます。



一葉の写真

坂本と並んで写る一葉の写真。
激励会で比嘉に撮ってもらったものですが、そこに写る坂本の顔はいつも通り無骨で自信に満ちていました

私の大事な宝物です。

坂本の目は閉じていましたが、それもまた坂本らしくて、いい。



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