~オリックス、松中信彦トークショー① の巻~
平成唯一の三冠王・松中信彦
平成唯一の三冠王、前ソフトバンクの松中信彦氏のトークショーに行ってきました。
松中のプロ入りは1997年。
1996年がオリックス(いまのところ)最後の日本一で、オリックスがホークスを圧倒していた時代。
1996年当時借金30のチームが王監督のもと徐々に力をつけ、1999年にダイエーとして初パリーグ制覇に日本一。
ここから立場が完全に入れ替わり、20年後のいまもその状況は変わらぬままいまに至ります。
弱小球団から常勝球団へ生まれ変わった経緯を知る松中の話は、
常勝球団から弱小球団になりはて、いまなんとか生まれ変わろうとしている(であろうと願いたい)オリックスにとっても役に立つことがあるのではと思い、足を運びました。
ダイハード打線 vs オリックス弱小投手陣
トークショー冒頭、
ダイエー時代の思い出として松中が挙げたのが、ダイハード打線。
松中、小久保、井口、城島、柴原、バルデス、秋山らで組んだ強力打線で、2003年のチーム打率は驚異の,297。
いまのオリックスからすると同じプロ野球選手とは思えない強烈な数字。
その餌食となったのが投壊オリックスで、
7月27日に1試合32安打を打たれ(初回10打数連続安打)当時パリーグ記録となる26点を奪われ、
そのわずか5日後に今度は29‐1で敗れ、パリーグ最多失点の記録を更新。
よくファンをやめなかったなと
松中の記憶にもこのことは鮮明に残っているようで「オリックスとの試合で20何点取ったと思ったらその同じ週に今度は29点取って」と語っていました。
その当時のことを私もよく覚えていますが、生物学上つらい記憶は消し去るようにできており、もはや当時の怒りはなくただの呆れ話。
いま思うことは、
大嫌いだった西武のチームリーダー石毛が監督で、よくファンをやめなかったなと(阪急時代もしくはそれ以降の熱量は全くありませんでした)。
「感情を表に出せ」
上述したように、松中の入団当初はホークス弱小時代。
その当時のチームの印象を松中はこう語ります。
「ただ淡々と試合をこなし、負けても「はい負けました」と淡々と帰る」と。
その勝負への執着のなさ、覇気のなさに我慢ならなかった王貞治監督は「とにかく感情を表に出せ。打てなかったら道具にあたってもいいからとにかく感情を出せ」と、口を酸っぱくなるほどに言い続けていたそう。
その結果、徐々にですがチームが変わっていったとのこと。
いまのオリックス、
感情を表に出すところにも行っておらず。
松中 vs 小久保
四番を打つという目標を立てた松中の前に立ちはだかったのが、小久保裕紀。
練習の虫・小久保のハードトレーニングを目にした松中は、質はともかく量だけでも小久保を抜こうと、キャンプでは小久保がグラウンドを去るまで帰らなかったとのこと。
この長距離砲二人の切磋琢磨がチームに波及し、チーム強化に繋がっていきました。
吉田一本被りのオリックス。
ライバルのいないオリックスにいることが吉田のさらなる飛躍を妨げている気が以前からしていましたが、どうもその可能性は大のよう。