祈優勝! オリックスバファローズ

~オリックスバファローズを心から愛するファンの、ブログ~

2019オリックス

~オリックス、松中信彦トークショー③ の巻~




1996年/1997年

~オリックス、松中信彦トークショー① の巻~~オリックス、松中信彦トークショー② の巻~に続く第三弾。

お楽しみの質問コーナーで、大勢のソフトバンクファンに囲まれたなか挙手し指名を受けた私。
松中氏への質問は、

①なぜオリックスはこんなに弱いのか、弱くなったのか?
②Tはなぜ打てないのか?
③(野球解説でその卓越した打撃理論に感心することの多い)松中氏はホークス以外のユニフォームを着る気はあるのか?

の3点。

松中のプロ入りは1997年。
その前年はオリックスが(いまのところ最後に)日本一に輝いた年。
松中入団年の1997年からオリックスは坂道を下り始め、転げ落ちオリックスを尻目にダイエーホークスは栄光の階段を登り始めます。

弱い頃のホークスを知り、強くなったホークスを知る。
さらにはまだ強さの残り香のあったオリックスも知り、弱小球団になり果てたオリックスも知る。



本音を語るに適した場所

岡目八目といえど、碁を知らぬ私がその局面をみてもなにも分からない。
やはりその分野に精通しておかねば八目先を読み取ることはできず、その点平成唯一の三冠王ほどの人物はなし。

またオリックスと直接的な関係のない立場であること、
そしてオリックスファンが私以外いないというこの環境。

遠慮配慮することなく松中が本音を語るに適した場所



勝負に淡泊

で質問の回答。
なぜオリックスはこんなに弱いのか、弱くなったのか?

松中曰く「勝負に淡泊」。
「さっき、ダイエーが弱い時代の話(参照:~オリックス、松中信彦トークショー① の巻~)をしましたが、それと同じで淡々と野球をやり負けても悔しがることなくそそくさと帰っている」
「解説していていも、覇気や気迫を感じることがない」

ここでトークショーの進行を務めていた西田たかのり氏から私に、
「と言われていますが、オリックスの試合を観ていて気迫とかは感じませんか?」。
私は即答で「まったく」と。



精神的な脆弱さ

松田や内川のベテランがベンチの最前列に立ち、ワンプレーに感情を露わにし一喜一憂するホークス。
常勝軍団黎明期は、小久保、松中、城島、柴原、井口らの一流選手がチームとしてはまとまり、個としては激しくライバル視し(松中がレギュラーになってからはチームの看板選手でありライバルでもあった彼らとは一度も食事に行っていないそう)。

翻ってオリックス。
ベテランがほぼいないチーム編成はいわずもがなで、主将の福田がプレーでチームを鼓舞しますがまさに孤軍奮闘。
第一、2年目の選手がキャプテンを務めるというところがこのチームの精神的な脆弱さを表しています。

ぬるま湯は、長く浸かれば浸かるほど出にくくなる。



「チームを変えるには血を入れ替えるしかない」

続けて松中。

チームを変えるには血を入れ替えるしかないですね」。

厳しい時代、そして栄光の時代を知る阪急OBをようやく集め始めたオリックス。
まだ結論を出すには早いものの、それよりももっと刺激的で破壊的なトップによるリストラクチャーが必要なのかもしれません。
大量輸血により血液型が変わるくらいの変化、たとえば劇薬・落合博満の招聘など。
ただ、
GMに福良が就任したばかりで、それは現実的には難しいところ。

松中の言う「血の入れ替え」。
実現は不可能に思われます。



動画

Tはなぜ打てないのか?

「技術的なことはここで話すのは難しいのですが、ちょっと気になる点があったので、大前さん(大前一樹アナウンサー)を通してTくんに動画を送ってもらっています」とのこと。

他チームの選手といえど、やはり松中と同じ長距離砲の不振を気にしてくれているよう。
苦しみも理解できるのでしょう。

手首の怪我もようやく癒え、今日はファームで逆転アーチを放ったT。
藤井の指導をものにし今季終盤に昇格し、来季への手応えを掴んでくれれば。



個人的切望

松中氏はホークス以外のユニフォームを着る気はあるのか?

当然この質問の裏には、貧打に泣くオリックスの窮状を松中に救ってもらいたいという個人的切望が含まれており。

解説ではその卓越した打撃理論に感心することの多い松中。
本人は「打撃しか分かりませんが」と謙遜するも打撃がわかってくれていれば十分。

「ユニフォームを着たいとは思っていますが、こればっかりは自分ではどうしようもないので。ソフトバンクから声がかからなければ…」と優先順位の一位には古巣がやはりあるようです。



藤井をホークスに取られたように

三回にわたって書いてきましたが、敗戦試合の記事を書くよりこちらの方が面白く。

左肘を故障し野球断念を医者から命じられた松中が父とともに考えた打開策は、まさかの右投げへの転向。
高校野球部での練習後、月光のもと右手でのネット投げを繰り返した努力の人。
打一本で社会人に入り、バット一本で19歳ながら日本代表にも召集。
そして、繰り返し書きますが、平成唯一の三冠王。

こういう人材をみすみす見逃す手はなし。
藤井をホークスに取られたように今度はこちらが奪ってみればと強めに空想しつつ、帰途につきました。

ためになることの多い有意義で楽しい一時間半でした。





よろしければ一押しお願いします。

-2019オリックス
-, ,