~オリックス、夏の甲子園中止 の巻~
「青春という字を書いて横線の多いことのみなぜか気になる」
「青春という字を書いて横線の多いことのみなぜか気になる」
「サラダ記念日」に収められた俵万智の一首。
夢溢るる青春時代には、だからこそ飛び越えるべき多くのハードル(横線)があると詠んだ(であろう)この首。
高校球児たちは甲子園出場という目標達成のためその横線を越えんと努力してきましたが、その挑戦権すらも手にすること叶わず。
丸刈りの少年
昨日、子供を公園に連れていくと、公園の隅でバットを振る丸刈りの少年がいました。
手入れされていない太い眉毛と二の腕が、少年の朴訥さと純情さ、そして彼が野球に一途に打ち込んできたことを示していました。
彼に「野球してるの?」と声をかけると、少年はにこりと微笑み「はい」と答えました。
濁りのないその瞳は、年を経た私には眩しく、嫉妬を覚えるくらいに美しかった。
「高3です」
学年を尋ねると彼は「高3です」と私の目を真っすぐ見て答えました。
その返事を聞いた瞬間、夢を奪われた少年の悲しみ苦しみ、世の不条理、なにもしてやれない自分の無力、数多の感情が一瞬に去来し涙が溢れそうになりました。
が、ぐっと堪えました。
本当に泣きたい少年が、柔和に笑みを浮かべていたから。
この笑顔が、抗えない現実への達観が生んだものとするならば、それを知るには18という齢はあまりにも若い。
「キャッチャーをしていた」
その少年は近年強くなってきた近所の公立校でキャッチャーをしていたとのこと。
中止決定の翌日だったにもかかわらず「していた」と過去形になっていたところを思い出せば、すでに少年のなかでは夏の甲子園中止を一事実としては消化していたのでしょう。
五輪も中止となり学校すら再開されていない現実をみれば大会開催は不可能。
しかし感染者は日に日に減少し状況が好転していたのもまた事実。
一縷の望みに夢を託すも、高野連の決定は中止。
開催の可否についてはいろいろと意見はあるものの、高野連が当の高校球児自身がどう考えているかを斟酌した様子が窺えなかったのが悲しい。
プロ野球が無観客で6月中旬に再開(予定)しペナントを争いながら、同じスポーツを行う高校球児は甲子園を目指せない。
真理
「先生たちが引退試合みたいなのを考えてくれているようです」
まさか来るべきその日のために素振りをしていたわけではないでしょう。
夏の甲子園中止決定翌日に一心不乱に素振りをする少年の胸に去来したものは一体なにか。
努力はときに実を結ばず、夢は必ず叶うものではない。
白髪が増えてくれば実感する一つの真理。
しかし、夢に向かって努力したことは決して無駄にはならない。
これは絶対的な真理。
「頑張ってね」と別れの言葉を告げると、少年はその日幾度目かの笑顔で「はい」と答え。