~オリックス・福良、解任か続投か の巻~
解任か続投か
自力でのCS進出が消滅した翌日に報道された「福良解任」報道。
先週唐突に出てきた「福良続投」報道。
前者はただの可能性を述べたのみで、
後者はどこの誰だか分からない関係者談で信じるに足りず。
しかとした立場のある人間の発言が欲しいところですが、
監督人事を最終的に司るオーナーはシーズン中ということもあり発言をぼかし。
生え抜きの新監督
阪急ブレーブスからのオリックスファンである私にとって、
オリックスになって初の阪急・オリックス生え抜き監督の誕生はなによりも嬉しかった。
ヘッドとして梨田と栗山を支え、日本ハムの日本一に貢献。
現役時代から卓越した人間性と野球に対する深い知識は誰もが知るところ。
低迷するチームを救うのは、この新監督・福良淳一であると信じていました。
期待は見事に裏切られ
しかし、その期待は見事に裏切られ。
個人タイトルを獲得する選手が全くいないことでもわかるように、選手個々の力量不足は明らかですが、
ただ、それ以上に疑問を呈する采配の数々にファンは、頭を抱え枕を濡らし。
その象徴が、過度なバント偏重。
リーグ最低の犠打成功率にもかかわらず、懲りずに犠打のサインを出しまくる。
セイバーメトリクスで否定され、
3年間それで結果がでていないにもかかわらず、バントをずっとずっとずっとずっと。
オープン戦では足を使った攻撃を仕掛け、
監督3年目でようやく変わってくれるのかと期待したのも束の間、シーズンに入れば元の木阿弥。
結局は開幕3戦目の宗への犠打が全てでした。
「チャンスの時の打撃をもっと大胆にいってほしい」
他人を思いやる人間性は十分にあり、
田口が心酔するほどに野球に明るい。
ただ、自らを省みることができない(そういう私もできているかは分かりませんが)。
それを表しているのが、
2試合連続の完封負けを喫した昨日・一昨日のソフトバンク戦後のコメント。
0-12とコールド負け並みの大敗を喫した土曜は、
「チャンスの時の打撃をもっと大胆にいってほしい」。
消極的戦法・犠打
そんなあなたは大胆に采配を振るえていますか?
初回の犠打は減りましたが、
チャンスになればバント、ビハインドでもバント。
3つのうちの貴重な一つのアウトを相手に献上。
さらにいえば、バント一択は相手チームにもばれておりチャージの餌食になることも多々。
犠打を積極的な攻撃と考える人はさすがにいないでしょう。
福良の小心さが生んだ消極的戦法・犠打が攻撃の基本。
そんなことで選手が大胆にいけますか?
三塁憤死
0-1と惜しい試合を落とした昨日の試合。
幕切れは小田の三塁憤死。
それに関しての福良のコメントが「目の前の打球ですからね。おつりが来るくらいのセーフならいいけれど…。暴走ですね」。
がっかりの一言です。
悲しくなりました。
その前の打席では闘志あふれるヘッドスライディングを敢行した小田。
自身の取り柄である足で、
なんとか生きようと一つでも先の塁を奪おうと精いっぱい戦っています。
「暴走ですね」
昨日の記事でも書きましたが、福良の言う通り野球の教科書では禁忌とされる小田の走塁。
しかし、暴走と好走塁は紙一重。
レフト中村も中島の長打警戒で下がっており、勝負するだけの価値はありました。
しかし、
その勝負を、
積極性を「暴走」の一言で片付ける。
前日「大胆にいってほしい」と語っておきながら(チャンスのときの打撃ではありますが)。
ほとほと呆れます。
悲しくなりました。
「おつりが来るくらいのセーフならいいけれど…」
こんな言われようでは一つ先の塁を狙う気は薄れます。
昨日の記事でオリックスを「二塁打を単打にする」チームと書いたばかりですが、その裏には指揮官の勝負を嫌う小心さがありました。
そして昨日のコメントに福良の思想が隠れています。
「おつりが来るくらいのセーフならいいけれど…」
つまり、
おつりが来るような場面でないと福良は動かないということ。
何年監督を務めても、同じこと
野球が戦いである以上、勝負をかけるときがあります。
「勝負」
その文字が表す通り、勝ちもあれば負けもある。
それだけどちらに転ぶか分からない厳しいもの。
福良は、「勝負」につきものの負けを異常なほどに恐れ、
その結果、「勝負」にすら出ていない。
であれば勝ちを手にする可能性は低く、
そんな弱気な人間に栄光が降りたつことは決してなく。
この根本が変わらない限り、
何年監督を務めても、同じことです。