~オリックス、後藤光尊引退 の巻~
引退
15年のプロ生活。
いろいろありました。
大学中退後社会人の川鉄千葉を経て、
ドラフト10位でオリックスブルーウェーブに入団。
下位入団のルーキながら開幕スタメンと華々しいデビュー。
小柄ながらも、芯にあたった打球はえげつない速さで飛んでいき、
放物線は描かず、弾丸ライナーでスタンドへ。
合併後、とくに岡田が監督に就任した2010年からは中心選手として活躍。
初の3割超えを果たした2011年は、振ればヒットという感じでした。
華麗な守備と凡ミス。
高速のライナー弾とポップフライ。
この二面性が、後藤の愛すべき特徴でした。
東北人らしく、多くを語らず、
背中でチームを引っ張る、まさに「男」の、名選手でした。
寂寥
その2011年オフにFA宣言。
同郷の、中日・落合監督が獲得に名乗りを上げましたが、「球団に恩返ししたい」とオリックス残留。
育ててくれた岡田監督への想いを熱く語っていましたが、
その岡田とは2012年に対立(したといわれています)。
後任の森脇ともうまくいかず、
FA宣言時の長期契約もネックとなり、楽天に移籍。
そして、2016年引退。
ダイヤモンドで躍動する後藤の姿が観れなくなるのは寂しいですが、
それよりもっと寂しいのは、楽天の球団職員になるということ。
もしかしたら、FA宣言時にオリックスがコーチ手形を出し、それが移籍先の楽天でも有効ということなのかもしれませんが(阪神に引き抜かれた山口高志の場合も、阪急が出した定年までのコーチ手形を阪神が引き継いだそうです)、すごく寂しい。
オリックスブルーウェーブの暗黒時代を知り、
ブルーウェーブとバファローズの生みの苦しみを知り、
オリックスバファローズで中心選手として活躍した後藤だからこそ、
オリックスに戻ってきてほしかった。
これで、青波戦士はイチローのみとなりました。
長男
あの時のオリックスは、まさに後藤のチームでした。
長男・寡黙でしっかり者の後藤。
次男・やんちゃな坂口。
三男・おっとりとしたT。
長男・次男が去り、
いまTが、チームを名実ともに背負います。
確執があったとされる岡田の名を最後に出した後藤。
あのころの輝きは、いまもまだオリックスファンの心に残っています。
ありがとう、後藤。
そして、
いつかまた、オリックスのユニフォームを着てほしい。
そう願っています。
(後藤の忘れられない試合の一打です)