~オリックス・長谷川滋利、日本ハム監督? の巻~
日本ハム次期監督
今朝のデイリースポーツの記事より。
「日本ハムの監督にならないかと割と最近に話がありました」
日本ハムが優勝したため立ち消えとなったが、実現していれば日本人メジャー経験者で初の監督が誕生していたかもしれない。
今オフに就任したSAは主に外国人獲得で力を注ぐ。取り組んでいる外国人の育成についても話が及んだ。 「来年、2軍で活動する外国人選手の2年後を楽しみにしてください。
5年後の優勝を目標に10年くらいのスパンでチームを強化していきたい」と常勝チームへの青写真を描いていた。
その4時間後の記事(日刊スポーツ)。
(中略)
この内容について、沖縄・国頭での秋季キャンプを視察中の日本ハムの吉村浩GM(52)、木田優夫GM補佐(48)ら球団幹部は「全くの事実無根。講演の詳細は分からないが、本当にそんな話を面白おかしく話したなら、栗山監督に対して失礼な話」と激怒。今季10年ぶり日本一を果たした栗山英樹監督(55)の来季6年目の続投は今季途中から既定路線であり、2日のオーナー報告で発表した矢先だった。長谷川氏に白羽の矢を立てたとの事実は、過去にもないという。
実際に長谷川に監督就任のオファーがあったのか?
日本ハムがもしオファーをだしていたとしても認めるわけもなく、
その真偽はもはや闇のなかです。
しかし、
もしそれが長谷川流の冗談であるならば、そのジョークのクオリティーの低さに呆れるばかりですし、
もしそれが事実ならば、そういう内密なことを公にする必要がない。
1990年、一軍半の選手の移籍を活発化するために、セレクション会議というものが行われました。
12球団各チームが移籍リストを作成し、そのリストをもとにトレードをまとめていく、MLBのルールファイブドラフトと同趣旨のものですが、
その際、当時ダイエー監督の田淵が、広島のある選手の名が移籍リストに記載されていたことを洩らし、減俸処分を受けたことがありました。
減俸自体は田淵個人の問題なので大した問題ではないのですが、
その田淵の口の軽さによって、セレクション会議自体がこの一回をもって消滅することとなり、
それにより、一軍半レベルの選手移籍は、フリーエージェントで補償なしのCランクが導入された2008年まで遅れることとなりました。
田淵ほどの影響はないとしても、
長谷川の軽挙が、オリックスと日本ハムの間にいらぬ諍いを生んだのは間違いないでしょう。
口の軽い人間が信頼されることは、決してありません。
ビジネスの世界に身を置く長谷川が、
そんな当然のことを知らぬこともないでしょう。
10年ぶりの現場復帰に浮かれているのかもしれませんが、
もう一度褌を締めなおす必要がありそうです。
秋季キャンプ
そんななか、
舌禍騒動の当人、長谷川の姿は、高知にありました。
長谷川が送り込んだ4人のテスト生のチェックとフォローが主な仕事でしょうが、
ブルペンや球場を精力的に回ったようです。
遠大なる構想の実現のためには、SAとして結果を出していくことが最低条件となります。
失敗は失敗として反省し、
オリックスの再建に力を振るってほしい。
長谷川の仕事は、まだ始まったばかりなのだから。