祈優勝! オリックスバファローズ

~オリックスバファローズを心から愛するファンの、ブログ~

平野佳寿

~オリックス・平野、メジャーに旅立つ の巻~




 希望枠

京産大でエースとして活躍し、アマナンバーワンとも称された平野佳寿
当時は希望枠で、自ら行きたい球団を選択できた時代。
札束が飛び交うなか、
平野が選んだのは、低迷するオリックスでした。

姫路で行われたプロ一年目のオープン戦。
新人王の呼び声も高かった期待のルーキーは、西武打線に滅多打ちを食らい撃沈。
その頃の平野は、常時セットポジションから投げる、スライダー中心のクレバーな投手という印象。
力強さのなさが露呈したかのような大KO劇に、一人悲しんだのを思い出します。

シーズンでは新人投手完封一番乗り、オールスター出場を果たすも、
チームの日本一に貢献した日本ハム・八木智哉に新人王をさらわれ、
3年目には右ひじ故障のため全休(振り返ると、12年間のプロ生活で平野の長期離脱はこの時のみです)。

エースになれる素材でありながら、飛躍しきれず、
ファンの大きな期待に応えることができない、足踏みの日々が続きました。



 秘密兵器

2008年、いま思えば奇跡としか言いようがない快進撃で初のCS進出を果たしたオリックス。

小松聖、近藤一樹、金子千尋、山本省吾。
乱れ咲いた若い投手たちがローテを組み、2009年のパリーグ優勝候補の筆頭にも挙げられていたなか、
当時監督の大石大二郎が期待する投手として名を挙げたのが、前年一度も登板のなかった平野佳寿

強固なローテに、秘密兵器として復活を腕撫して待つエース候補が加わる。
誰もが1996年以来の栄光を予感していました。

しかし、
終わってみれば、チームは沈没。
平野も3勝12敗で不本意なシーズンを送る。

4年間で18勝36敗
チームの低迷もあったとはいえ、エース候補の形容詞には程遠い状況でした。



 開花

そんな平野の前に現れたのが、岡田彰布
阪神時代にJFKを築き上げ、ゲーム後半の重要性を理解していた岡田は、平野に目を付け、
岡田自身が最重視していた7回を任せます。

この配置転換が、
平野の眠っていた才能を開花させることとなりました。

長谷川滋利二世とも評されたクレバーな投手が一転、
球史に残る豪球投手に早変わり

150キロ超のストレートを愚直に放り、
落差大きいフォークでバッタバッタと三振を奪う。

平野のボールを受けることが多かった鈴木郁洋は、ただアウトローに構えるだけ
それだけで十分でした。

そこに風を切って投げ込まれる平野のストレートは、まさしく豪速球。
パリーグの強打者は首を垂れ引き下がる。

この転身が、今回のメジャー移籍に繋がりました。



 旅立ち

2011年、43ホールドを挙げ最優秀中継ぎ投手
優勝争いをした2014年には、40セーブで最優秀救援投手を受賞。
昨年のWBCで日本代表にラストワンで選ばれると、首脳陣の信頼を勝ち取り、大事な場面を任される。

名実ともにリーグを代表する投手に成長した平野佳寿

寂しいことですが、
12年間まとったオリックスのユニフォームを脱ぎ、
本日、
多くの怪物たちが待ち構える米国に出発しました。



 律儀

昨年末、平野は東京のオリックス本社を訪れ、
宮内義彦オーナーに退団・渡米の報告をしました。

僕をここまで成長させてくれたのはオリックスなので。今までの感謝と『頑張ってきます』という思いをお伝えしたかった」(スポーツ報知)

この律義さ
これが平野がファンから愛された要因でしょう。

平野が数多の球団の誘いを断り、オリックスを選んだ理由
それは、
スカウトの谷村智啓が、二番手だった高校時代から自分のことを気にかけてくれていたから



 いつの日か

雨の日も晴れの日も、
連投、回跨ぎに不平を漏らすこともなく、
厳しいラストイニングのマウンドに上がり続けてくれました

終戦を告げるサイレン音が京セラのマウンドに鳴り響く。
ホームベースに背を向けルーティンの股割りをしたのち、
打者を睥睨する平野の姿はただただかっこよく

平野佳寿。
あのとき、オリックスを選んでくれてありがとう

勝手ながら、
いつの日か再び京セラで会えると、信じています。

それまで荒涼たるアリゾナの大地で、暴れてきてください。
オリックス戦士としての誇りを胸に。

オリックスファン全員が、平野佳寿を応援しています




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