~オリックス・岸田護、「オリックスで優勝したい」 の巻~
岸田護
オリックスの岸田護投手(37)が5日、京都府内で自主トレを行った。ともに2005年のドラフトで入団し、17年までチームメートだったダイヤモンドバックスの平野佳寿投手(34)とキャッチボールなどで調整。「うちにいた時も成績はすごかったしアメリカでもすごい。性格は変わらず芯がある」とメジャーで75試合に登板した平野をねぎらった。
年末年始を休まず、トレーニングに当てた岸田は「キャンプ初日からバンバン投げられるようにと思っています」と順調ぶりをアピール。昨季は17試合に登板し、防御率2・35で「ファンの方に『今年頑張りましたね』と言われる。たった17試合。これで良かったと言われるくらいまで、投げていない人なんだと思いました。50試合は投げたい」と2015年以来の50試合登板を目標に掲げた。
金子、西が移籍して先発陣が不足しており、西村監督はキャンプで大半の投手に先発調整をさせる方針。岸田も「競争に入っていかないと俺も。何でもできるようにしとく」と刺激を受けた。チーム最年長右腕は「オリックスで優勝したい。それがかなったら引退します」とプロ14年目のシーズンに挑む。(スポーツ報知)
チーム最年長の岸田護。
もともとリーダー型の人間でしたが、金子が抜けさらにその役割は増し。
「たった17試合」
2014年から昨季までの岸田の登板数。
55→50→16→4→17と登板機会は漸減のなか、昨季はアップ。
「ファンの方に『今年頑張りましたね』と言われる。たった17試合。これで良かったと言われるくらいまで、投げていない人なんだと思いました。50試合は投げたい」
マウンドに屹立し、野手7人を従える投手とは誇り高き人種。
37歳の17試合登板を「たった」とあっさり切り捨てる。
今季38歳の岸田、いまだそのプライドに陰りなし。
「俺もう引退やぞ。いつになったら優勝させてくれるんや!」
クローザーを任す力はなくとも、
あの頃のアウトローストレートはみられずとも、
長いシーズン、まだまだ岸田の力は必要。
「1軍に昇格したのが8月で、その時は3位まで7~8ゲーム離れていたんで“優勝ないかな”と話になった」といい、おもむろに隣に座っていた吉田一の首をつかみ「俺もう引退やぞ。いつになったら優勝させてくれるんや!」と冗談ながらに後輩に向けて大暴れしたことを告白。(スポニチ)
その明るさも岸田の美点。
フルシーズンとは言わずも、今年もオリックスのブルペン陣を支えてほしい。
「オリックスで優勝したい」
三十も後半に差し掛かれば、自らの野球人生の結末を当然考える時期。
そこで岸田の出した答えは、「オリックスで優勝したい」。
働き場を求めてチームを去った選手をチーム愛がないと批判する気はないものの、
フランチャイズプレーヤーとしてこのオリックスに野球人生の全てを託してくれる選手に思い入れが深くなるのは当然のこと。
「それがかなったら引退します」と語る岸田の最後の願いが、勝利への執念をわずかでも増してくれれば。
小松、近藤、金子、西。
あと一歩のところで泣いた選手たちが、思い届かずオリックスのユニフォームを脱ぎました。
岸田の夢が、夢こそは、成就してくれれば。