~オリックス、1995年5月3日・オリックスvsダイエー の巻~
「1995オリックス がんばろう神戸」
NHK-BSにて放送されている「あの試合をもう一度!スポーツ名勝負」。
今夜選ばれたが、「1995オリックス がんばろう神戸」。
取り上げられた試合は、1995年5月3日のオリックスvsダイエー。
当時はCSもなかった時代、NHKでの全国放送が本拠地神戸でのオリックス戦が観れるほぼ唯一の方法。
当然観ていたと思いますがまったく記憶がなく、初見といった感じでテレビ観戦。
投手コーチ・山田久志
ほぼ満員の35000人(当時は水増し込み)が来場し、スタジアムは熱気で溢れています。
先発は野田浩司。
マスクは中嶋がかぶり、一塁・藤井、二塁に福良、外野は左から高橋、田口、そしてイチロー。
ダイエーの先発は若田部、捕手は城島でなく吉永、三塁にはFAでパに戻ってきた松永浩美。
仰木の横には新井がおり、野田のピンチにマウンドに駆けるは投手コーチの山田久志。
多くの選手がいまや指導者。
懐かしき顔に出会う度に、頬緩みいちいち驚きの声が漏れ。
時の流れ
だぼだぼのアンダーシャツに絶滅寸前のワインドアップ、主審のプロテクターはこの年で使用が終わるアウトサイドプロテクターに、SBO表記。
そして、「ブルーウェーブ」。
鈍足の藤本博史もゲッツー阻止のため二塁ベースを大きく外れショート小川に向ってスライディング、代走出場の三走・松山秀明は本塁封殺後一塁に送球する捕手の足を狙ってスライディング。
いまならば一発コリジョン適用の場面に、九回一死三塁から高橋、藤井と敬遠する場面では申告でなく4球捕手に投じる。
年を経た選手たちからだけでなく、いろいろな事象から時の流れを感じます。
ストッパー・平井正史、当然の回跨ぎ
2-2で試合は終盤に。
マウンドに上がるはオリックスのストッパー・平井正史。
この時代、抑えの呼び名はクローザーでなく、ストッパー。
まだシーズン序盤の5月初旬というのに、ストッパー平井、投げる投げる。
当然の回跨ぎ、3イニング超え。
いまがひ弱というよりこのころの起用法が異常。
案の定、平井は故障に泣くこととなりました。
田口壮
延長戦にもつれこんだこの試合の決着は、田口の一打。
この回、無死一塁。
途中出場の勝呂へのサインは犠打。
明らかに低いボールをストライクと取られ、主審に抗議する仰木。
戦う監督の背中を、選手は常に見ています。
その勝呂がスリーバントを決めイチロー敬遠後、一死一二塁で二番・福良。
クローズドスタンスからショートオーバーのヒットで満塁。
ここで田口が、当時の特徴であった積極性を発揮し、初球をレフト前に運んでサヨナラ勝ち。
満面の笑みで応える若い田口壮。
やっぱり私は田口が好きだ。
絶頂期と、ここから25年
この年、「がんばろう神戸」のキャッチフレーズのもと、オリックスとして初優勝を飾り、翌年巨人を倒し日本一となり、オリックスは(現状唯一の)絶頂期を迎えます。
一方、引き立て役となったダイエー。
秋山が加入し、2年目の小久保がセカンド。
改革の萌芽は窺えるもまだまだ弱小チームの域を出ず。
タレント揃いのオリックスとダイエーの選手層の差は明らか。