祈優勝! オリックスバファローズ

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齋藤綱記

~オリックス・齋藤綱記、プロ初勝利! の巻~




プロ初勝利

札幌での5連戦を1勝4敗と大きく負け越したオリックス。
唯一の勝利は榊原が先発した金曜日。
この試合、白星が付いたのは三番手の齋藤綱記

左打者を二者連続三振に斬ってとり、チームの逆転を呼び込みました。

プロ初先発だった仙台での楽天戦はまだオーバースロー。
当時監督の福良が試合中にもかかわらず降板後の齋藤に説諭していたのを思い出します。

そこから4年、腕をサイドに変え、遂に念願のプロ初勝利



大山暁史

2018年シーズン直前に開催された激励会。

当時のオリックスは結果の出ない左腕をサイドに変えることに躍起となっていた頃。
2015年には、大卒社会人の大山暁史を入団わずか1年でサイドに転向させていました。

その大山は首脳陣主導のサイドスローを1年でやめ、元に戻しました。
激励会でその点について直接尋ねると、やはり不満はあったようで「(プロ生活が)最後になるならやっぱり上で」と大山は語っていました。



強い意志

その後、サイド転向直後の齋藤綱記に同じ質問をすると「これで勝負します」とこちらは力強く

どうせサイドをやらされていると思っていた私からすると、サイド転向への強い意志を感じるこの齋藤の発言の強さには正直驚きました。

この決断の裏には田嶋大樹の存在があったようで。

以下、日刊スポーツの記事より。



齋藤綱記の覚悟

生き残るために、変化を恐れなかった。オリックス斎藤綱記投手(23)は、3年前、ある決断を下していた。

「プロの世界で投げるには、それしかないと思ったんです」

北海道・北照から14年ドラフト5位でオリックスに入団。17年までのプロ3年間で、1軍登板は1試合だけだった。心を決めた。プロ入り3年目のオフ、左肘の位置を下げた。サイドスローに転向し、自分の居場所を確立しようとした。「モデルは、とくになかったですね。とにかく、あのときは必死で肘を下げるのに慣れようとした感じでした」。ブルペン投球で投球フォームを確認する日々が始まった。

17年オフ。競争相手が入団してきた。「田嶋がドラフト1位で入ってくるってなったんです…」。同学年で、同じ左腕。嫌でも比べられる。そのとき「あ、無理だな…って。そう正直に思った」と振り返る。なんとか1軍マウンドに登れるように「何かないかなと思ったときにサイドスローが(チームに)いなかったので(自分が)なってやろうと思った。プロの世界で投げたいと、すごく思ったんで」と歯を食いしばった。

やらされて不承不承か(別に大山が悪いということでなく)、これしかないと強い覚悟をもってか。

プロ初勝利の陰には、斎藤綱記の必死の覚悟がありました。



地元北海道で

いままではBB/9自体はそこまで高くなかったものの、ストライクボールがはっきりしていた齋藤。
それが今季はきっちりとストライクゾーンでの内外の投げ分けができています(特に宇佐美を三球三振に斬った場面でのアウトロー3連投は立派の一言)。

そして打者33人に対し無四球
WHIPも0.64と圧倒的な数字を残しています。

当人も語っていたように、ビハインド時での登板が主でしたがこの試合は同点でマウンドに上がったように、いよいよ活躍の場を広げてきました。

6年目でのプロ初勝利。
それが地元北海道でだったのは、齋藤の覚悟に対する野球の女神のご褒美でしょう。





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