~オリックス・齋藤綱紀、幾人目かのサイド転向 の巻~
サイド転向
結果が出ないと、すぐにこれです。
オリックスの斎藤綱記投手(20)が22日、今秋からサイドスローに転向したことを明かした。
大阪・舞洲の球団施設で契約更改交渉に臨み、現状維持の500万円でサイン。今季はシーズン中に腰を痛めたこともあり、1軍での登板はなく、2軍でも10試合の登板にとどまった。
3年目左腕は「腰を痛めて歩くのも痛い時があった。悔いの残る、悔しい1年でした」と振り返り、新フォームでの復活を誓った。(スポーツ報知)
大山、古川の両サウスポー。
高木伴。
柴田健斗に戸田亮。
そして、今度は齋藤綱紀。
結果が出ないと、すぐにサイドに転向。
結果を残していないという負い目があるためその提案を受け入れざるを得ず、
渋々ながら腕を下げ、フォーム固めに時間を費やす。
結果、アマチュア時代に評価された長所を失い、
ある者は慣れぬフォームで故障を発生し、
ある者は再び元のフォームに戻す。
上記の中で唯一戦力となったのは大山のみ。
しかし彼は、1年でフォームをもとに戻した組。
つまり、
誰一人サイドスローをものにした投手がいない現実が、ここにあります。
見切り
今年転向の齋藤は、まだ高卒3年目。
もう少し様子をみては、というのが第一印象。
見切りが早いのがオリックスの特徴で、
社会人からの入団の大山と高木は、わずか1年結果が出なかっただけで、
高校・大学・社会人で築き上げてきたものを捨て、サイドに転向させられました。
そこが評価されてドラフト指名を受けたにもかかわらず。
高木はもともと腕の位置が低かったのでまだそれほどの違和感は感じませんでしたが、
オリックスサウスポーのなかでは球威のある方の大山の1年でのサイド転向には、正直驚きを隠せませんでした。
同時期に転向したドラ1古川のかませ犬かと疑ったほど。
結果、高木、大山とも新フォームをものにすることはできず、
故障発生とともに元のフォームに戻すことになりました。
あのままサイドを続けていたら、今季の大山の覚醒はなかったでしょう。
そして、
その無駄な一年がなければ、高木はこのオフにユニフォームを脱ぐことにはならなかったかもしれません。
裏返し
2年目の春季キャンプでは、
臨時コーチに訪れたレジェンド・山田久志に「一番良かった。こいつを育てたらいい」と賞された齋藤。
そんなピッチャーが、わずかその1年半後にサイドに転向。
身長180㎝を超える大型サウスポーで、
角度のあるストレートが魅力であったはず。
サイドに転向することでその角度をいかすことはできなくなります。
2年目の昨シーズン、楽天戦での初先発では4回4失点でKOとなりましたが、
随所にいいストレートを放っていました。
「サイドスローへの挑戦は、この世界で生き残るために自分で決断しました」と語る斎藤。
ならば、悔いのないように頑張ってほしい。
ただ、もしその転向に納得できていないのであれば、
いまからでも元のフォームに戻して研鑽を積んでほしい。
そしていい加減、
サイド転向が吉となるような結果をチームとして残してもらわないと。
安易なサイド転向は、指導力不足の裏返しでもあるのだから。
MBSラジオ「With Tigers MBSベースボールパーク」
明日11月25日(土)、MBSラジオ「With Tigers MBSベースボールパーク」(17:59~21:00)のなかの特集・ボールパークのコーナーで、
オリックスバファローズのことが扱われます。
タイトルは、「俺たち、オリックスが大好きだ~ オリックスがソフトバンクを超える日!」。
阪急晩年から1996年のオリックス日本一まで、
南海・ダイエーは、阪急・オリックスにとってライバルと呼べるチームではありませんでした。
それが、いつの間にか後塵を拝することとなり、はや十余年。
2015年は30。
2016年は27.5。
そして今季は30.5。
この数字、
ソフトバンクとオリックスとのゲーム差です。
この絶望的な差を埋めないことには、オリックス悲願の優勝はあり得ません。
オリックスがソフトバンクを超える日は果たしてくるのか。
答えはもちろん、
イエスです。