~オリックス、来季も栄光の背番号「7」は欠番 の巻~
福本豊
オリックスの背番号7が来季も欠番となることが13日、明らかになった。 長村裕之球団本部長は「7は特別やからね。ふく(福本)さんは“ええよ”って言うやろうけどね。よっぽどの成績を残さんとね」。昨季までは阪神にFA移籍した糸井がつけていた番号。かつて阪急時代には世界の盗塁王・福本豊の代名詞ともいわれ、引退後の91年までは2軍監督在任時にもつけた特別な番号だ。
今季は空き番となっていた。ドラフトで指名した選手にも提示していない。FA宣言した阪神・大和に対しても0、2、4などの空番から選んでもらうことにしているという。
長村本部長の願いは偉大な番号を受け継げる選手の出現。背番号7をつける選手はいつ現れるだろうか。
こういう、過去をリスペクトする姿勢はすばらしいですね。
長村が現役のころはその晩年とはいえ、
栄光の背番号「7」を付けた韋駄天は、西宮球場のグラウンドを縦横無尽に走り回っていました。
モーリー・ウイルスの104盗塁を上回る、106盗塁のシーズン最多盗塁記録を記録し、
13年連続盗塁王。
通算1065盗塁は、リッキー・ヘンダーソンに抜かれるまでの世界記録。
阪急黄金時代を支えた、
球史に残る一番打者・福本豊。
その栄光をしっかりと理解し、
その偉大さを、背番号「7」を欠番にすることでいまの世に語り継いでいく。
思えば、
オリックスの凋落は、
そういう古き良き伝統を消し去ろうとするところから始まったような気がします。
背番号「7」
福本退団後、長らく欠番であった背番号「7」。
それを継承したのが、2001年、横浜からトレードでオリックス入りした進藤達哉。
その後、一年だけ日高がつけた後は、
水口→浜中→赤田→糸井。
日高(と合併組の水口)を除いてすべて他球団から来た選手。
しかも、実力・選手のタイプ的にも、糸井を除き、
栄光の背番号「7」にふさわしい選手とは思えません。
まさしく、
伝統の軽視。
価値の低下。
同じことは、
通算284勝、史上最高のサブマリン・山田久志の「17」番にも言えます。
背番号「17」
山田引退後2年の空白を経て、
立命館大からドラフト1位でオリックスに入団した長谷川滋利が継承した、栄光の背番号「17」。
長谷川がメジャー移籍後は、
前田和之が3年つけ、トレードで横浜にいくとその交換相手であった戸叶尚がつけることに。
その後、合併により香月良太が背負い、こちらもトレードで巨人にいくとその交換相手であった東野峻がつけ、
東野退団後は、ドラフト1位の山崎福也に受け継がれいまに至る。
山崎に関しては、入団時に空いていた10番台の背番号をいくつか提示され、
そのなかから山崎自身が選んだとのこと。
山崎は自らが選択した「17」番の意味も重みも知らなかったようですが、そこに罪はなく、
問題は、
他の背番号と同列に「17」を扱い、提示したフロントにあります。
黄金時代
「7」に関しては、福本引退後つけた6人中4人が移籍組。
「17」は、6人中2人が移籍組(合併により移籍となった近鉄の選手は生え抜きに含めます)。
軽々しく「7」と「17」を与え続けた結果、
その数字がもつ、
偉大さそして伝統が失われていきました。
そこを回収していこうとする、長村の意図。
長村に厳しくあたることが多い私ですが、この点は称賛に値すると思っています。
であれば、もう一つ。
ドラ1で入団後、その背番号にふさわしい活躍ができていない現「17」番の背番号変更を提案したい。
長村が言うような「よっぽどの成績」を残しているとは思えません。
もしその数字に彼自身、執着や愛着があるのであれば、
しっかりとした結果を残し取り返せばよいだけのこと。
「7」、「17」、そして「51」。
これらは、
オリックスに、世界に誇れる選手たちがいた証。
この価値を受け継ぐことができる選手が出てくれば、
阪急黄金時代の再来となることでしょう。
ベストナインにもだれ一人選ばれなかった今季のオリックス。
あの栄光の日々が再び訪れる日がくることを、
肌寒い今夜もまた、祈っています。