~オリックス・長村裕之、球団本部長退任・退団 の巻~
ドジャース敗退
CS真っ盛りですが、オリックスファンの私には関係なく、興味は専ら海の向こうへ。
ナリーグでは大本命のドジャースがまさかのNLDS敗退。
豪腕・ストラスバーグから3点を奪い、2点リードで先発ビューラーからMLB最高左腕・カーショウにスイッチするも、そのカーショウが打点王・レンドン、昨年の日米野球にも参戦したソトに連弾を浴びて同点。
最後はケリーが元ドジャースのケンドリックに満塁本塁打を浴び、本拠地・ドジャースタジアムで延長敗退。
野球はなにがあるか分かりません。
しかし、カーショウの後を受けた前田健太の素晴らしかったこと。
3者連続三振でナショナルズの勢いを止めました。
内をほぼ使わず外一辺倒のリードは伊藤光を思い出させましたが、計算されたスライダーにナショナルズ選手のバットは空を切り続け。
分かっていても打てない外角スライダー。
やはり投手は制球力。
長村裕之
オリックスが7日、長村裕之球団本部長(60)が11月1日付で退任すると発表した。88年に阪急で引退後はオリックス1、2軍コーチやフロントで編成業務に携わり、16年途中から編成部長に復職して17年に日本ハムからFA宣言した増井の獲得などに尽力。
今季は5年連続Bクラスの6位に終わり、「責任感と覚悟を持って常時、上位争いのできるチーム作りを目指してきました。勝敗の結果が問われる世界ですから、総合的に判断してけじめをつけるときと感じ、辞職を願い出ました」と語った。今後は球団の執行役員を務め、12月末で退団する。後任は森川秀樹球団本部長補佐(59)が務める。(日刊スポーツ)
長きにわたってチーム編成に携わってきた長村球団本部長が退団。
遠き昔の栄光、1995・1996年のパリーグ連覇時のバッテリーコーチです。
選手を見る目がいまひとつ
フロント入り後は、第一次長村編成時代を経て瀬戸山‐加藤体制発足でその任を外され、瀬戸山・加藤の退団に伴い編成トップに返り咲き。
福良GM誕生に伴い編成のメインルートから外され、チームを去ることを決意しました。
「勝敗の結果が問われる世界ですから、総合的に判断してけじめをつけるとき」という本人のことば。
編成トップとして結果がでておらず、退団やむなし。
私の印象としては、以前の記事でも書いていますが、選手を見る目がいまひとつ。
また、勝敗(チーム強化)よりもコストカットに精を出したというイメージが強い。
瀬戸山―加藤時代の大盤振る舞いから緊縮財政に転換。
支出が大きく減るわけですから、帳簿で成否を判断する人は長村を評価。
資金に関与せず純粋にチーム成績で評価するファンからすると、ただただ物足りない。
失敗の数々
一回目の編成部長時代は、比嘉への契約金をケチり一時交渉決裂という事態を引き起こし、
翌年はドラ1・後藤駿太、ドラ2・三ツ俣大樹という大失敗ドラフト。
長村がその任についていた間に主力となったのは、安達に佐藤達也くらい。
この時代のドラフト失敗がいまの選手層の薄さの遠因となっています。
2017年から球団本部長兼編成部長に就任するも、昨年の外国人4人制やチームを変えうる可能性を秘めた三軍制の停滞(これらも緊縮財政の所為と個人的には考えています)、伊藤光を駒としたトレードの失敗((大学の後輩でもある)白崎を過大評価)など編成トップとしてはマイナス面が目立ち。
第二次のドラフトは一時に比べだいぶましとなっていますが。
福良GM体制
問題は、一回目の編成トップ就任が失敗に終わったにもかかわらず、編成トップに再任させたこと。
一度閑職に就いた人間が返り咲くは往々にして派閥争いが原因と考えられますが、その暗部は定かとならず。
シーズン途中に福良GM体制に移り、チーム編成は福良に譲渡済み。
その福良のいまのところ唯一の仕事は、中日とのトレード。
松葉・武田⇔松井雅・松井佑
金銭⇔モヤ
松井雅人の獲得は山岡の最高勝率獲得に寄与したという一定の成果があり、
第二のブライアントなどとはもちろん思っていなかったでしょうが、モヤもクリーンアップを任され二桁本塁打。
福良GMによる新体制、
いまのところ、それなりの成果を出してはいます。